11/27(日)        岬塾上田遍

先週水曜日から2日にわたり長野県上田市にて岬先生の講演があるということで、深谷岬塾延べ6名で出かけていった。
上田市には「和心道クラブ」という研修団体がありそこで岬先生が強く支持を受けている。名前は違うが要するに「上田岬塾」みたいなものだ。
和心道だから和魂を追求する岬塾と目的は一緒。こちらは若輩者なのに対してあちらは町の名士がそろっていていささか迫力負けしたかな。

講義内容は言わずと知れた「いまなぜ武士道か?」。もう聞きなれた内容だが何度聞いてもいい。「仁・義・礼・知・信」!こんな短い文字の中に深い深い思想が盛り込まれている。あらためてすごいことだと思う!

上田市は真田家にゆかりの深い場所で、懇親会場の隣に『池波正太郎 真田記念館』という資料館があった。池波正太郎といえば『真田太平記』をはじめ、数々の真田関連作品を書いた作家。実際に真田家というのはとてもドラマチックな系譜をたどった一族で小説の題材には事欠かないだろう。また、隣の松代市には後に所領換えされた真田家の館後や佐久間象山記念館、ちょっと足を伸ばせば川中島など歴史の宝庫である。こんな機会でもなければ自分から行くことは無かっただろう。

変わったところでは象山洞窟、第2次世界大戦末期に大本営本部を田舎の洞窟に移設するという計画があり、当時2億という巨費を投じて縦横に洞穴を掘った。降伏時期が遅ければ移っていたかもしれない。この洞窟、実際に入ってみるとちょっと言葉を失う。普通じゃない。どんなにお金もらっても彫れるものじゃないよ!!

まあ、そんなこんなで大変充実した2日間でした。

10/11(火)        岬塾レポート

毎度おなじみ、深谷岬塾が去る10月8日(土)に渋沢記念館で開催された。今回はいろんな意味で記念すべき講義となった。

今まで塾としての自覚のなさからだらしない運営が続いていた、岬先生に渇を入れられたこともあって事務局メンバー一丸となってことにあたり、今回の講義から塾としての運営を明らかにする為毎回のテーマ付けをはっきりし、塾生としての修練の場であることを印象つけるために塾綱領の唱和・本講義前の塾生によるスピーチなどを盛り込んだ。

また、まばらな出席者についても自助努力すべき点であると、それぞれが動員を徹底し目標の30人をクリアした。スタッフ会議も数度開き、直前は朝の6時に行った。その甲斐はあったと言える。

さて、講義の中身、今回より岬先生の著書である『日本人の名著を読む』を題材としその中の23の名著を1回ずつ講義してもらうことになった。今回は「吉田兼好〜徒然草」。

高校のとき古文で習った徒然草は確かに面白いなあという印象を持っていた。ものの見方がシニカルでワイドショーのコメンテーターみたいなそんなイメージがあった。
だから、日本思想史を学ぶ目的の『日本人の名著』のしょっぱなが吉田兼好というのはいささか違和感があった。そのことについて、岬先生から懇切丁寧に解説いただいた。

『日本人の名著』の大部分が儒教をベースとしており社会の中における人間の生き方について厳しく律する方向であるがゆえ、失敗したときにぽっきり折れてしまう危うさを持っている。老荘の思想=諦観をベースにしたこの徒然草は宇宙の中の人間について成功も失敗も不幸も幸福も大宇宙から眺めれば大したことではないよと、肩の力を抜いてのんびり構えてもよいことを教えてくれる。

要はバランスで、どちらかに傾きすぎてもいけないが、少なくともまじめ一本でなくても良いのだとゆとりを与えてくれているのだ。まじめ一本やりの典型は例えば吉田松陰や久坂厳瑞のように破滅的最期を自ずと迎えてしまう。

老荘思想の一例でいえば「上善水の如し」・・・水は四角い器では四角く、丸い器では丸く形を変える。常に高きから低きへ流れ温度によって堅くなったり空気になったり自由自在に変化する。心を水のようにしていられれば何も恐れることはない、ってな感じかな。

いい加減なぼくにとってはとても共感できるありがたい思想である。
『日本人の名著』のなかではほんの一説を取り上げてあったが、徒然草まとめて読んでみたくなった。ただし、完全現代語訳じゃないとやだな。

さて、次回は「宮本武蔵〜五輪書」。これまた異色だなあ。我々の知る吉川栄治の作り上げた武蔵は完全に物語のヒーローだから、日本思想史に関わる実在の武蔵というのはどんなものだろう?大変興味深い。

次回は12月10日(土)16:00〜渋沢記念館です。

7/12(火)        まちづくりのカタチ

岬先生が街づくりに携わった話がとても興味深かった。
まず、町おこしの手法として「自転車と徒歩で暮らせるまち」を打ち出した。これによって当然コミュニケーションが増大する、車と違って遭った時に話ができるからだ。防犯システムとしてはコミュニケーションの活発化以上のものはないだろう、ロンドンでそこら中にカメラを設置したって逆効果だと思う。

このほかに独自の教育手法や産業推進など、様々な分野で先生の発案を実行し、住みやすい町として内外から高い評価を得ているそうだ。
ぼくはなにしろ「自転車と徒歩」というのにえらくショックを受けた。もちろんその町は人口1万余り、人口10万の深谷はまた違うやり方も必要だろうが、もっと細かい区分けをして公民館レベルでの活動なら十分当てはまる。

結局コミュニティ(地域)からコミュニケーションが消えたことが諸問題の根源にあるのだ。

そんなことを思っていたら、今日テレビでやっていたが、最近の都心のマンションでは住民が進んで隣人と関わりあいたがる傾向が出てきたそうだ。何かサークルを作ったり教室を開いたり。

マンションは元来面倒な人との関わりのなさがメリットとされてきたのに、このような傾向が出始めるというのはきっとみんな世の中の歪みとそれがなぜ生まれたかを重要視してきてるんじゃないかな。

となると、これからの社会は、いや、商売はコミュニケーションというところがカギとなってくるかも(一応商人なので)。

6/12(日)        岬龍一郎ノススメ 2

信頼という言葉が空虚に響く。
高度資本主義社会ではあらゆるものが金で換算され、損得勘定が判断基準のすべてである。

この国は何を間違えたのか。この国とは我々日本人とは何なのか。

昨日、渋沢栄一記念館で開催された第3回深谷岬塾では、少ないながらも上記の命題を文字通り「命題」として感じる人間が参加したと思う。

今子供たちに「尊敬する人は?」と聞くと、判で押したように「お父さんお母さん」、なら「尊敬する偉人は?」
「イチロー」、「松井秀樹」、「中田英」スポーツ選手ばかり、やっと織田信長が出たと思えば、ゲーム『信長の野望』で知った子。
現代教育では、不公平感をなくす為に特定の人物伝=偉人伝を薦めないそうだ。その時代は限られた人だけでなく名も知れぬ農民達も含めた全体で作った時代だから、特定の人間をひいきするのはおかしい、だと。

西郷ドンはどこ行った?竜馬を知らないのか?こんなバカな教育あるか!
もういい加減にしてもらいたい。このままじゃ本当にこの国はバラバラになってしまう。

岬先生は日本に本来備わっているはずの「武士道」やもっと率直に「道徳」を思い起こさせようと日夜弁舌をふるう。道徳という当たり前の概念=常識がすっぽりと抜け落ちた時代には、当然人間関係も崩壊し社会構造の矛盾は巨大化の一途をたどる。

『葉隠』の一説「武士道とは、死ぬることと見つけたり」は極めると三島由紀夫を生み出すと先生は言う。そういう一面もあるだろうが、別の見方もできる。つまり、「いつも死を覚悟してこそ生を充実させうる」という逆説的解釈だ。

これだけモノにあふれた豊かで平和な時代に死ぬことを前提に生きていけるかと批判されれば、個人的には自信がない。ただ、我々のご先祖にはその精神は常識であった階層が存在し、我々にも潜在的に武士道精神が引き継がれている。

「私の先祖は農家だったから武士道は関係ない」
そうじゃない、血の継承でなく精神の継承の中にこそそれはある。忘れているだけで実は奥底に眠っていると信じたい。勝海舟だって新撰組だってもとは百姓だ。我々は本当は「覚悟」や「信念」を貫くことによって武士道の尊い精神を呼び起こすことのできる民族なのだ(と信じたい)。


4/5(火)        血洗島の由来

昨日は《深谷岬塾》、武士道の岬龍一郎先生をお招きして勉強会を行った。
その中で先生が「深谷にある血洗島という地名について説明できるか」と聞かれた。確かぼくの知る限りでは戦で人を斬った刀を洗ったことに由来しているときいたが、「地が荒いから」という説もあるそうだ。

さっそくネットで検索してみた。
ところが、どの説も上記と同じような説ばかり。戦というけど大体いつのどの戦かがわからない。どのサイトも血洗島の地名の由来よりもそこを出身地とする渋沢栄一のことしか出てない。まあ重要度から言えば当然だけど。

また、京都にも「血洗町」という地名があって、ここは源平合戦の折に討ち取った平家の首を洗ったという伝承があるそうだ。もうひとつ「血洗いの滝」という滝もあり、これはスサノオがヤマタノオロチを斬った刀を洗ったというのが由来になっている。

そういえば深谷には「手計(てばか)」という地名もあって、これにも「昔戦があって手ばかり流れてきた」なんていう話がある。
岬先生に指摘される前からぼくもこれらの地名を気にはなっていた。住む場所がそんな不気味な名前でいいのか?という疑問である。

ところが、深谷育ちの人は意外と気にしないようだ、「何がそんなに気になるの?」的な態度である。
官僚が何も考えずにつけた地名だから深い意味は無いんだよとクールな意見をもらったが、《血》という漢字を名前に使うか普通?よっぽど何かないとつけないだろう。もし無理やりつけられたら住民だって反対するだろうに。

それとも、ぼくの反応がヒステリックで実際どお〜ってことないのかなあ。

それか、何か地域的なアンタッチャブルなことに触れてしまったのかも!消されちゃったりして!

2005.3/6(日)        生き方下手な人々

『峠』に引き続き司馬遼太郎の維新モノ『花神』を読んだ。同じ幕末維新ながら、今回は官軍側、長州藩の軍事参謀【大村益次郎】の物語。

正直なところ『峠』の河井継之輔のような人間的魅力には欠ける。かなり変わり者で、実際身近にいたら迷惑なキャラクター。
大村益次郎は元々は長州藩の田舎の医者、緒方洪庵に蘭学を学んだことを買われとんとん拍子で出世していくのだが、最終的に新政府軍の司令官になるのには、桂小五郎という懐の深い理解者がいたためで、それもタイミングが悪ければ世に出ることなく偏屈な村医として平穏な生涯を送っていたかもしれない。

無論、幕末維新という特殊な環境《革命》でこそ有意に動き回る人物で、そういう意味ではどういう形にしても彼は表舞台に引っ張り出されたのかもしれない。
そして、どんなに出世してもとても生き方が不器用で、それがために悲劇的な最期を迎える。

物語としても《峠》のほうが面白い。でも、ぼくは最近この種の不器用な人にこの上ない愛着を覚える。彼らの華々しく且つ哀しい生涯を思うと、なんとなく感じるところがある。ぜんぜんタイプは違うが石田光成も生き方不器用の代表だ。

ところで、ぼくももちろん不器用な人間だが、彼らがぼくと違うのはその稀有の才能のほかに不器用であることを肯定していること、あるいは自覚していないこと、かな。
多少の差こそあれさほど長くはない人生を卒なくこなしていくより、ガリガリと音を立てるくらいに摩擦を起こしてもなお前へ進もうとする彼らに憧憬の念を持たずにはいられない。


2005.2/5(土)        岬龍一郎ノススメ

岬龍一郎先生の講演会を拝聴してきた。岬先生とは『武士道』などを書いている作家で、昨年青年会議所の「今なぜ武士道か」という講演を聴いてから傾倒している。以前ここに書いた『峠』(司馬遼太郎・著)も岬先生の推薦で読んだ。

本来この先生は高級官僚や大会社の社長クラスでの研修講演をされているが、なぜか深谷を気に入られて講演料なしでたびたびお越しいただいている。その博識たるや、歴史にとどまらず国際問題から芸術、果ては漫画まで幅広いお話を聞かせてくれる。

日本人は、武士道という世界に誇れる精神文化を築きあげながら度を超えた欧米化によってそれを忘れ去ろうとしている、今一度和魂をよみがえらせ我々の祖先が残した偉大な思想を取り戻し、末代まで伝えようというのが講演のメインテーマとなろう。

誤解してもらっては困るが、特に右翼思想とかそういうのではない、今の教育で教えなくなった偉大な先人たち、例えば福沢諭吉、二宮尊徳、本居宣長、新渡戸稲造、彼らが何を訴え子孫であるわれらに何を残したか?そこに日本人の日本人たる所以があるということかな。

古臭い道徳論と思われがちだが、100年以上前の彼らの思想には現代でも通ずる真理がある。むしろ、混沌の中から抜け出せない現代こそ必要とされる崇高な思想がそこにあるのだ。
まあ、こんなことえらそうに言っても、ぼくもまだかじってる段階だから人に教えるほどのものじゃない。でも、岬先生の話を聞いていると自分たちの先人がいかに偉大であったか、飛躍的に語ると「人は何のために生きるのか」「人生において真の幸福とは何であるのか」を考えたくなる。

もうちょっと具体的に言うと、例えば700年昔の人「吉田兼好」。『徒然草』はたいていの人が学校で習ったと思うけど、あの中には実は奥深い思想がある。中学校で習ったときは変人世捨て人くらいにしか思ってなかったが、40に近づいた今改めて解説されると心に響く部分がある。
二宮尊徳だって薪を背負いながら本を読む勉強好きな人みたいな印象しかなかった。ところが、尊徳は儒教を日本的に解釈し、渋沢栄一の「経済道徳合一主義」につながる珠玉の教えを残しているのだ。
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